ピアノと脳①両手奏の難しさは左右の分化

いつかどこかのタイミングでご紹介したいな…とずっと思っていたこと、それは「左右の分化」という言葉です。バスティン・メソッドの講師として有名な池川礼子先生の講座(2002年に全課程を修了)でこの言葉を知って以来、自分なりにいろいろな文献を読んだり、レッスンを通じて確認したりして、蓄積しています。

 

ここ数年、両手奏の導入がすんなり入れず、投げ出そうとしたり、面倒がったりする子が増えている、もしくは二極化(抵抗なく受け入れられる子とそうでない子)が激しくなっているなと感じることがあまりにも増えてきたので、教室便りにも記事として執筆しました。

 

ここでは、少し詳しくご紹介してみたいと思います。長文になりますが、参考にしていただけるご家庭は少なくないと思いますので、よろしければ読んでみてください。


人間の脳はご存知の通り、左脳と右脳に分かれています。以下のようなキーワードがそれぞれに関連しています。

 

左脳:分析的・合理的・論理的/記憶・言語・論理/部分への着目

右脳:創造的・芸術的・直感的/情緒・空間・直観/全体像の把握

 

「私は右脳型だな」「うちの子は左脳タイプね」と思われる方もいらっしゃると思いますが、人間はどちらかに偏って脳が発達しているわけではなく、左右をつなぐ「脳梁」という部位でつながっており、以下のような流れで左右の情報を処理し、運動神経を伝って、必要な身体の部位へ指令を送って動かしています。

 

多くの感覚器からの情報が脳へ送られる

脳で運動が計画され、神経を通じて筋肉に命令がいく

筋肉の働きによって骨が動き、運動が起こる

 

 

どちらかというと、脳梁は男性より女性のほうが太いといわれており、例えば女性は電話をしながら洗濯物をたためるといった同時進行が難なくできるのに対し、男性は2つ以上の同時進行が苦手…というエピソードもあり、思い当たる方もいるのではないでしょうか。

 

(ちなみに、音楽家にはこの脳梁が太い人が多いといわれています)

 

ヒトは生まれてから発達に応じて、脳の領域ごとに役割が分かれていきます。これを「機能分化」といいます。“脳のシワ” が増えるというやつです。1歳くらいまでは、右脳も左脳もまったく同じ機能をもち合わせていて、右脳と左脳をつなぐ脳梁がほぼ完成する6歳頃までに、外圧に適応しながら、機能分化していくようです。

 

機能分化は順序立てて進みますので、ここで「6歳までになんとかしないと!」といって、早め早めに何か刺激を与えようとすると、確かにある部位は発達するかも知れませんが、それと引き換えに犠牲になる部位もでてきて、バランスを崩します。自然の流れに逆らってまで急ぐことは逆効果なので気を付けてください。

 

脳の中でも特に、「大脳新皮質」は下等動物よりも哺乳類などの高等動物が大きく獲得しており、知性や理性といった、知的行動をつかさどる部位といわれています。

 

生まれたばかりの赤ちゃんはこの大脳新皮質が未発達で、どちらかというと動物的というか、本能で生きていますよね。そして未発達なために、身体をまだうまくコントロールすることができません。

 

心身の成長に合わせて脳の機能分化が進めば進むほど、高度で複雑な動きができるようになります。赤ちゃんが左右の手を対称的に動かせても、非対称で互い違いに動かすことはできないのは、機能分化が進んでいないからなんですね。

 

さて、ピアノの両手奏は、この「機能分化」のうち「左右分化」に統制されています。

 

左右分化は、機能分化の中でも後半に現れてくるもので、ボタンをかけたり、ヒモを結んだり…といった複雑な動きができるようになるのは、左右分化が出来ているということです。年齢でいえばちょうど4~6歳…就学前後の時期でしょうか。

 

ここで、なかなかボタンが留められない、ヒモが結べないからといって、周囲の大人がやってあげてしまうと、子どもは左右分化をするための外圧を受け容れるチャンスを逃してしまいます。

 

本人もできないうちはイヤイヤが始まり、泣いたり拗ねたり怒ったり…となるので、ついつい親も「あ~ん もう!時間がない時に限ってこうなんだからー!」なんて言って辛抱できなくなって親が手を出してしまうものなのですが(笑)、親も子もここで根気強く、できるようになるまでいろんな場面を設けて繰り返し続けなくては、この左右分化という発達機能を獲得できません。

 

また、「そのうちできるようになるから」「大人になって出来ていない人はいないのだから」という理由をつけて放置するのも、適期を逃しています。

 

やり過ぎもNG、やらなさ過ぎもNG、なんですね。

 

ピアノもまったく同じです。

 

右手と左手が別々の動きをする…という行為は、非常に脳に負荷がかかり、左右分化の中でも非常に高等な芸当です。すぐには上手にできないので、イライラしたり、投げやりになったり、果てはうまい理由をつけてやらなくて済むように逃げてしまう子も出てきます。(思い当たる親御さん、いませんか・笑)

 

こんなときに「もう、そんなにしたくないんなら勝手にしなさい!」とか「別にピアニストになるわけじゃないんだから、やらなくてもいいんじゃね?」「ピアノに行ったときに先生に教えてもらいなさい」と大人が先に匙を投げてしまうと、子どもは「へー じゃあ、今は辞めてもいいんだ」となります。

 

イライラを抑える

あともうひとがんばりしてみる

理性をともなって、自分自身を克服する

 

 

… こうした行為こそが、“脳に負荷を与えている” = “脳が発達している” = “心身が成長している” ということですので、どうか、子どもたちが成長するチャンスを、「忙しいから」「いちいちそんなこと構ってられないから」というのを理由に、親御さん自身が投げやりになってチャンスを奪ったり、見逃したりすることのないよう、気をつけてあげてください。

 

バブル世代がゆとり教育を推し進めた頃から、こうした悪循環にはまっていく親子が大変増えています。そして今、このゆとり世代が親になり始めました。子どもの自由にやらせたい、子どもの自主性に任せたい、という名目の下に、間違った方向へ進んでしまっていることを大変危惧しています。

 

親子でバトルになるのが嫌、疲れる、親子関係が壊れるのが怖い… 私自身も経験してきましたから、こうした親御さんのお気持ち‥すごくわかります。でも、そこに我が子の都合よりも、自分自身の都合が優先されていないか、今一度 胸に手を当てて考えてみて欲しいのです。

 

 

子どもが社会へ出たとき、嫌なことすべてから逃げ切ることができるでしょうか?親が老人になってもなお、我が子を守り続けられますか?

 

それよりも、(よほどのことは例外として)壁にぶつかったときに、工夫を凝らして上手に生き抜く知恵や勇気が持てる、自律・自立した人になって欲しいと思いませんか?

 

子どもの自由や自主性を尊重することと、大人が適期に適切に導くこととは、どちらか一方しか成り立たない二項対立ではなく、同時に行えること、いえ、行うべきことなのです。

 

また、私がピアノの早期レッスンを勧めないのは、こうした年齢に沿った脳の発達を考えて、適期にピアノをスタートさせることが本人のために良いと判断しているからです。

 

こうした日々の成長という名のトレーニングは、週に一度ピアノへ来ただけでは習得できないのです。これについては、また次回につづきを書いてみたいと思います。

 

(つづく)