6月6日「楽器の日」にちなんで…

6月6日は【楽器の日】
「芸事の稽古はじめは、6歳の6月6日にする」と言う昔からの習わしにちなんで、全国楽器協会によって制定されました。指を折って数を数える際、6の時には小指が立つため「子が立つ」=芸の上達が早い、という言い伝えもあります。

私は幼稚園年少のときに、ヤマハ音楽教室の幼児科から始めました。のちに、エレクトーンはヤマハで、ピアノは個人の先生につくこととなります。

「先生は子どもの頃、どうやって練習するモチベーションを維持していたのですか?」とよく聞かれます。私は子どもの頃、ちょっと変な子だったかも知れません。例えば…

 

練習していると、どうしても弾けない小節っていうのが出てきます。

特に、左手の4番や5番の指は思うように動かなくて、イライラしたものです。しまいには「もう!どうして5番は動いてくれないの!」と、自分の5番(小指)に向かって怒る私(笑)指を叩いたり、引っ張ったりして、指に怒る。「今度こそ、ちゃんとやってよ!」と言いながら何度か弾いているうちに、突然パッと弾けるようになると、「お~5番、やればできるじゃん!」「さっきは叩いてごめんね」なんて言って、指にヨシヨシしてあげるのです。そして、「ピアノの神様、ありがとうございます~!」と、心の中で唱えてみたり(笑)

 

ハタから見たら、一人でブツブツ言いながら練習しているこの子、ちょっと不気味!?^^;

 

この話をすると、生徒たちは「んなワケないじゃんwwww」って笑うのですが、見方によっては、こんなふうにして、日々の練習にストーリー性を見出していたからこそ、飽きないで続けられたのかな、と。

 

何度も何度も同じパッセージを弾いては癇癪を起していたのですから、つらそうに見えていたのかも知れませんが、私自身は弾けるようになりたい一心で夢中になっていたので、練習をつらいと思ったことが一度もないのです。弾けたら嬉しさのあまり、苦労した時間のこともすっかり忘れて、「弾けた、弾けた~\(^o^)/」と言って何度も何度もその曲を弾いて悦に入っているのです(笑)それがまた、良い状態での練習になっていたんですね。だから次の日も、懲りもせずまた練習できたのでしょう。

 

反復練習をする――― この1つの現象を楽しいと思うか?つまらないと思うか?

自分の心の持ちようによってそれは変わるということなんですね。そこに必要なのは「感性」だと私は思います。

 

私の時代はゲームはまだ無い時代でしたから(途中でインベーダーゲームが出てきた・古!)、学校帰りに空に浮かぶ雲を見て「わた菓子~!」と言って食べる真似をしたり、木の模様が人の顔に見えたり、目にするもの、聞こえるものすべてを、空想や想像の世界を広げる機会にし、それを楽しむ時間がたっぷりあったのかも知れません。

 

ほかにも、母はよく朝からレコードをかけながら洗濯や掃除をしていたので、その音楽を部屋で大の字になって聴いていました。目を閉じて聴いていると、部屋に風が入ってきて、森のオーケストラみたい!と思えてきて、すごーく気分がよかったのを覚えています。(高価でなくていいので)オーディオ機器をそろえて音楽を聴くようなご家庭を最近あまり聞かないのを寂しく思っています。

 

楽器に向かっている時間以外にも、生活の中で練習や演奏に間接的につなげられることってあるものなんですね。芸事には感性がつきもの。「ためになるから」「将来役に立つから」があまりにも先に立ち過ぎると、本末転倒になる気がします。塾などの勉強と芸事をひっくるめて「習い事」と捉える昨今ですが、芸事については、こうすれば正解というマニュアルはありません。そこはお勉強系とちょっと区別しておいて欲しいな…と思っています。